立つ鳥 夢を残さず


2018.3.31

椅子に座って6時間、動きもしない物を見つめていた。


ひたすら形を追いかけ、真っ白なツルツルにしか見えなくてもそれっぽく線を書き込む。

美術の大学に進むために何時間もデッサンをしてきた。念願の大学で、作品の締め切り前にはよく睡眠時間を削ったりもしていた。のめり込んで美術をやっていたけれど、大学三年生になった時、考えてしまったのだ。

東京に出て来て四年、私は生活費を稼ぐためにアルバイトをしている。

高校の修学旅行で東京を訪れた時、選挙カーの上から「東京の最低賃金を1000円にします!」と、大きな声で訴える人に「そんな高額、何を考えているんだ」と思った。けれど実際に上京してみると時給1000円を超える応募は山ほど、時給670円の熊本とはワケが違うのだと知る。私が2時間働いて得られるお金を、母は3時間かけて稼ぎ、仕送りをしてくれる。

作品を作っている時は苦悩もあるのに、完成した時の満足感や作品を見てもらう喜びは語り得ず、また作品を作りたいと思う。けれどたぶん、自分はこう考えた時点で芸術を続け生業とできる人ではないのだろう。何気なく費やして来た時間は、働いていればお金になっていた時間、だと。


私は就職し、作品作りから離れる。美術は共に志してきたみんなに任せたい。もちろん芸術で生計を立てる人も大金持ちになる人もいるけれど、そこに至るまでの道のりは、私にとって不確かで、とても恐ろしく感じられるのだ。お金が全てではないのも分かっているが、自己実現だけでは乗り越えられない問題もある。

私は就職活動中、進路を決めていない同級生を「現実的ではない」と嘲ったりもした。けれど、今思えばそれはただの嫉妬だったのだろう。続けていける気勢だとか、勇気だとか、もしくは環境だとか。自信を裏付ける成功体験や才能と呼ばれるもの、様々な差があったのだと思う。


高校球児のように地面に突っ伏し歯を食いしばったり、涙を流したりもせず、引退を迎える。美術の道において、後悔も夢もない。もしかしたら好きで好きでやっていたのではなく、やめるのが怖かっただけなのかもしれないとも思う。私は間もなく、全くはじめての、新しい仕事を始める。

夢を追いかける美談は数多くあるけどそう甘くないと、私たちは知っている。それなのに美談が美談であるのは、そうあって欲しいと思っているからだと思う。水鳥が立った湖面は、すぐに元の姿に戻ろうとする。その姿は美しくも物悲しい。

私は私の周りの人、美術をする人に、

ずっと続けて欲しいと思うし、いつでもやめて欲しいとも思う。

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