心地よい冷たさと朱色
紀行文 2016.11
肌寒い日が多くなってきた。暑い季節が恋しい。
私は汗の目立ちにくい紺色のワンピースとつばの広い帽子を選んだ。6月末、夏の始まり。大学の研修旅行で京都を訪れていた。二週間の日程の中で、大抵の名所はすでに回っており、最終日の自由行動で行く場所を、私は前日まで決めかねていた。周りの友人たちは大阪に行くと意気込んでいたが、無計画な私は、帰りのバスを京都発で取っていた。
朝、思い立って京阪本線に乗り込み、東福寺で乗り換えて一駅、稲荷駅で降りた。駅名を聞けばわかる人も多いだろう。千本鳥居で有名な伏見稲荷大社を訪れた。改札を出るとすぐに大きな鳥居が立ち現れる。ちょうど昼頃に行ったため、多くの観光客で賑わっていた。日が照りつけとにかく暑く、日陰を求め、足早に正面の鳥居をくぐる。本殿前、階段の両脇に狐の像を見つけ、期待が膨らむ。真っ赤な門を背景に、青味がかった稲荷が映える。背筋がすっと伸びていて、想像していたよりも、ずっと凛々しい表情をしている。私は向かって左側の狐さんの方が好みだ。本殿に向かい、お参りの方法はこれであっていたよな、と思いながら二礼二拍手一礼をする。目を閉じると急に蝉の音が大きく聞こえる。目を開けたことで暑さを思い出す。心が清まった気がする、なんて思いながら、矢印に向かって歩き出す。
前触れなく、一つ目の鳥居が目の前に現れ、写真を撮る人で溢れかえっていた。私もとりあえず撮り、連なる鳥居の間を抜けていった。私があと10歳若かったら、千本あるか数えていたと思う。二十歳になっても一瞬数えようと思ったほどだから。ふと、太陽が遮られ、涼しかった。
奥社奉拝所に着くと辺りは開けて、のびのびとする。売店に冷やし飴の文字を見つけるが、手書きの看板には年季が入っていて、案の定見当たらない。日陰で涼しいとはいえ、やはり冷たいものが欲しくなった私は、ラムネを買った。仕方なくと思いつつも、何年かぶりに手を取ったラムネに少しワクワクした。子供の頃はふたを開けるのが苦手だったが、今回はかなりスムーズに開けられた。キンキンに冷やされていて、喉を流れる感覚が気持ちいい。甘さが嬉しくて一気に流し込みすぎた。炭酸の刺激が額にシワを作った。昔、ビー玉が取り出せなくて、もどかしい思いをしていたが、口の部分を回すだけで、簡単にときめきを取り出すことが出来た。瓶だけを捨て、ビー玉をポケットに入れた。多くの人が折り返す奥社奉拝所を出て、一つ先の能鷹社まで行くことにした。
急に人が減り、艶のなくなった鳥居も目立つ。最後の階段を上りきった所で、息を飲む。池の存在を地図上で見ていなかった私はしばらくの間、圧倒され目を離せなかった。ふうと息を吐く。小さな石の鳥居が並び、線香のような匂いが立ち込めた細い道に入った。祀られた何かは、稲荷大社大神様に別名をつけ奉納された「お塚」と呼ばれるものらしい。狭い道の両脇には苔むしたお塚、隣には静まり返った池。奥に進むにつれて濃くなる線香の匂いは嫌ではない。嫌ではないが、さすがに夜には来れないと思った。
池を向いて大きく深呼吸をして、道を戻った。最後の鳥居を抜けると達成感があった。少し空が染まり始めていた。参道にはシャッターの音をさせ始める店もあった。明日には東京に戻っているのかと考え、急に寂しくなる。ふと近くにあったおみやげ屋さんに入った。休憩スペースもあって、甘味のメニューが置いてある。せっかくだからと、かき氷を注文。20代くらいの店員さんが、ガラスの器に乗った小さな緑の山を運んでくるのが見え、目が釘付けになった。氷とあんこに埋もれかけた白玉がつやつやと光っている。一口食べると、濃い抹茶の香りが鼻を通る。美味しい、と頷きながら次々と口に運ぶ。食べ終わってしばらく、帰路につく観光客の流れを見ていた。
「すみません、もう閉店なので…」という店員の言葉に、自分の左手首に目を向ける。
「ああ、はい。ごちそうさまでした」と少し笑顔を作り、レジに向かう。綺麗に並んだおみやげの誘惑に勝てず、まとめてお会計を済ませた。
増えた荷物と共に電車に乗って十条で降りる。バスターミナルまで、疲れが出てきた足を少しずつ動かす。夜行バスで7時間ほどの道のり。日付をまたいでも寝付けず、さっきまでの心地よい気分を脳内で反芻する。
私は夏を、旅先に置いてきてしまった。
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