錯綜と安堵への

インスタレーション 2013.10

私たちを取り巻く情報、言語の危うさはいつも変わらず私たちの側にあ る。必要のない情報がどんどん生活 の中に流れ込んできて、必要な情報 や自分自身までもが大量の情報に埋もれていくような気がする。自身で箱に入り埋もれてみる。息苦しくもあったが長く入ってるに連れ、情報と見立てたゴミたちは体に密着し、温もりを持ち、私に心地よさを覚えさせた。苦しいようで心地よくもある。そ んな情報化社会で、私たちはこの情 報たちとどのように付き合っていくべ きだろうか。 という問いの答えもまた、ここに埋も れてしまっているかもしれない。


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